2011年10月31日

10,31 中川裕貴・引退試合

 毎年、この季節は心が痛みます。戦力外の通知が流れるからです。


 誰だっていつかはプロ野球選手を辞めるときがきます。その理由もさまざまですが、十分戦ったうえでの年齢による体力の限界が一番幸せな形でしょう。

 幼い頃から夢を持って、努力して、周りの友達が遊んでいる時間を惜しんで練習した結果、選ばれた人間だけがプロに入団できる、本当に狭き門です。


 しかし、入団できた喜びはつかの間、そのあとが大変です。自分が一番だった世界から、全員が一番の中にはいっていくのですから、、「プロ」ってこんなにすごいの?マジ?って、ほとんどの選手が打ちのめされます。


 気持ちを切り替えて、練習に練習に練習を重ね、、、ようやく「プロの練習」についていける体力がつき、精神力が鍛えられ、ほんの一握り だけが1軍ベンチ、、レギュラーなんて、、、氷山の一角ですよ。ほんと。



    それも



 怪我のない健康な体だからできること。



 今年10月23日、中川裕貴選手が戦力外通告を受けました。リハビリに耐えた8年間でした。


 2003年のドラフト1位で入団。「子供たちの目標にされる選手になりたいです」と、中京高校から元気良く入団しました。

 
 皆さんもご存知の通り、怪我に泣かされてきました。まずは微熱が治まらず「鼻」の手術。同期からちょっと出遅れました。しかし、もともとセンスのある選手ですから、、2006年の最終戦に1軍初昇格したのです。さぁ、これからだっ!!て時、、、


 2007年沖縄キャンプ中、送球した際に右肩が抜けてしまいました。


「やばいっっ、、痛いぞおぉぉぉ~、でも、大丈夫かも??」


 と、練習を続けましたが、なんともならず、、、。腕がしびれ、、冷や汗がずずず~~と流れたそうです。



 リハビリを続けたものの、オフに手術に踏み切りました。そして翌年8月にファーム復帰。もう後がない!!懸命でした。
















 2009年6月、肩の調子もよくなり、3年ぶりに1軍昇格、です。 ベンチからハニカミながら、、いえぇ~~ってVサインで出てきました。見ているほうも「ホッと」した瞬間です。
 
 その後、6月27日に嬉しいプロ初ヒット、ドームでの練習も生き生きしていました。
















 2010年6月5日には、ロッテとの交流戦で吉見投手が投げた初球ストレートを、左中間に見事にホームラン! 頬を高揚させてベンチに帰ってきた姿が印象的でした。


 クライマックスでもベンチにはいり、、来年こそレギュラーとりか?と期待されたのですが、、実は、もうこの頃には「腰」が限界にきていたのです。




 いろいろな病院に通いました。コルセットも作りました。でも、何がわるいのか原因もつかめず、、、。野球をするどころか、座っていること、真っ直ぐ寝ることすら難しくなっていたのです。


 沖縄キャンプは、早々に「プレハブ組」(リハビリ施設)山本昌投手や高橋あきふみ投手もいたので、勇気づけてもらっていました。



 地道なリハビリ、、頑張ってもなにをやっても、一向に痛みは消えない。どうなるのだろう。焦りと不安でいっぱいになりました。6月ネクストバッターサークルにたったのが、ファンにみせた最後のユニフォーム姿になってしまったかもしれません。


 8月初旬「相羽さん、もう、だめだわ・・。」と、ぽつりと、、漏らしました。あんなに頑張ってきたのに、「ダメ」とつい口からでてしまった。そこで「頑張れ」とはかえせませんでした。



 監督をはじめ、コーチ、スタッフ、トレーナー、そして周りの仲間が彼の努力を見てましたし、苦悩も知り、何とかしてあげたい、いままで一緒に戦ってきたのだから、、、。。その気持ちがここに現れたのです。















 宮崎で開催された日本選手権のベンチに、、中川ユニフォームが掲げられていたのです。ナゴヤ球場のウエスタン優勝決定戦も、そうでした。


中川「谷が、ユニフォームをかしてっていうから、、。僕、死んでないけど、嬉しかったですよ。このビジター用は、今年一回も着てないなぁ~。ビニールに入ったままだった、、」





 中川選手は入団前、後輩たちを前にこんなスピーチをしたことがあります。

「練習は人の見ていないところでどれだけやれるかが重要。野球は9人だけでなく、ベンチも一緒にみんなでするもの。相手の気持ちを考えれば、チームワークも生まれる」・・と。。。



 一緒に戦って、日本一に輝きました。。。そして1軍も、同期の選手がベンチにはいり優勝しました。



中川選手「ぼくら同期は仲がいいんですよ。優勝おめでとうってタケ(堂上剛裕選手)にメールしたら、‘ありがとう、まだCSもあるから、まってるよ’って返ってきた。僕が出られるわけないのに。お兄ちゃんは優しいよ~。泣きそうだった」



 がんばったけど、限界。一度はトライアウトを受けようと、バッティング練習もはじめたんです。速く走ることも可能になって、「今、50メートル6秒フラットですよ~、5、8にはしたいなぁ~」って言っていたくらいでした。














 しかし、23日とうとう戦力外を通告されました。、覚悟していたこととはいえ、一日考えました。「もうを飲まなくていいんだから、いいんじゃない?!」奥様に言われました。




 「野球やめます」。  




 これが応えでした。そして、、ナゴヤ球場に残留している選手とスタッフが、「中川裕貴引退試合」を用意してくれたのです。といっても、シート打撃式のフリーバッティングをするというものでしたが。

 
 先発長峰、中継ぎ斉藤、クローザー金剛。外野で守るのは、朝倉&小笠原&スタッフ、、、、というメンバー。


 「ボールが前にとばない~~~」  やはり、ずっと生きたボールを見ていないので、、ファールばかりになってしまいます。。


     、、、が、、、



 そこは センス抜群の彼。。中距離打者らしい、ライナーが外野に飛んでいきました。みてやってください。プロ初安打より、ホームランより、嬉しそうなこの顔顔2















 ヒット3本で終了。仲間に8年分の思いを込めて胴上げしてもらいました。

 

 「生まれて初めて胴上げしてもらいました。8年だから8回って。あ~、悔いはのこるけど、納得してます」。




 プロ8年。周りの協力、家族の助け、球団の愛情があってここまで頑張れました。もちろん、本人の心が折れなかったから、ここまで頑張れたんですけどね。


 今年は、少年野球から一緒にプレーしてお世話になった先輩、ソフトバンクの松田宣浩選手がブレイクしました。怪我さえなければ、自分もこんなんだったかもしれない。リハビリする自分がさぞかし、もどかしかったことでしょう。


 でも、プロ野球だけが人生ではありません。これからの方が長いんです。リハビリの8年が財産になる日が来ます。いつかまたドラゴンズの仲間、プロ野球を夢みる少年たちのために頑張ってくれると、信じています。


  



 高校時代の中川裕貴選手の言葉です・・・


 「僕の夢はプロ野球選手になること。でももうひとつ夢があります、少年野球とか中学の野球部とか。子供たちを教えたいんです」。


 





 




    

        第二の人生に・・・あれ・・・。









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Posted by 燃えドラ! at09:01
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この記事へのコメント

コメントを何度も消しては打って・・・。
どんな言葉も安っぽくなってしまいますが・・・。

限界までチャレンジし続けた事は、周りの方々はもちろん
たくさんのファンの心にも一生刻み込まれる事と思います。

これからの人生が中川選手にとって素敵な人生になる事を
影ながら応援いたします。これまで本当にお疲れさまでした。

Posted by りりこ at 2011年10月31日 15:33

中川裕貴選手、お疲れ様でした。。。

Posted by 窓際測定員 at 2011年10月31日 18:44

なんか母子で泣きながら読みました…

お疲れ様、これからも…

Posted by ゆーすけ。 at 2011年10月31日 18:44

私は中京高校卒業生でかつ、下の読み名は「ヒロキ」といいます。中川さんのことは中京の時から気になっていました。去年の1軍で放ったホームラン実は見に行ってました。あまりの嬉しさ、驚きさに野球場で初めて泣いてしまいました。今年はさらなる飛躍を期待していましたが…残念でしょうがなかったです。でも、1軍で放ったホームランを目の前で見た場面は私にとって1番の野球名場面です。本当にありがとうございました。

Posted by 中京hiroki at 2011年10月31日 21:17

去年のホームランを現地で見て感動をもらって以来、中川選手のファンです。まさに空気を変える一発、負け試合を勝ち試合へとあざやかに変えてくれました。去年は1勝の差で優勝したシーズン。中川選手のこの1本がなかったら優勝の行方は?って思っちゃいますよね。
去年のビールかけで中川選手がはしゃいでいたのが思い出されます。中川選手が次に挑戦することにはさらにたくさんの笑顔があふれるよう祈っています。

Posted by nyamo at 2011年10月31日 23:41

今から、仕事行くのに…
涙が止まりません。。。
これからの中川「選手」の人生に幸あれ!

Posted by ウッキー at 2011年11月01日 07:50

初めてコメントします。
中川選手、とても残念です……
第二の人生の幸せを祈ります。
お疲れ様でした。

Posted by くまくま at 2011年11月01日 22:29

中川選手 お疲れ様でした。
免許を取ったときに良く一緒に乗車しました。ずっと期待していました。
両親思いの中川選手。
これからは家庭を大切に新しい人生を歩んでください。

Posted by 清水 雄毅 at 2011年11月01日 23:06

裕貴くん、お疲れ様でした。家族全員でずーっと岐阜から応援してましたよ。ナゴヤ球場へも良く通いました。去年はドームへも行って、ホームランの翌日の岸投手からのクリーンヒット、目に焼きついてます。
入団した正月に竜王の自宅でキャッチボールしてもらった息子も大学2年生。いまは野球を楽しみながら続けてますが、また竜王でキャッチボールしてやってくださいね。
竜王のおばあちゃんからこっそりもらった背番号32のユニホームは我が家の宝物です。
第二の人生も夢をもって頑張ってくださいね。

Posted by namupapa at 2011年12月28日 23:26

初めてコメントします。
中川選手、とても残念です……
第二の人生の幸せを祈ります。
お疲れ様でした。

Posted by スーパーコピーウブロ at 2013年06月13日 17:22

2010年10月2日ナゴヤドーム中日優勝の日 撮影
写真を再度貼り付けます。 
中川裕貴選手クリーンヒットを打つ 
  何時見ても清々しい。

Posted by ゆっくりと at 2013年11月04日 16:11

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